招福楼本店 桂の間 永見隆幸 訪問 平田雅哉

音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が、滋賀の八日市にある、日本を代表する茶懐石の名店「招福楼 しょうふくろう 桂 かつら の間」を訪問されました。 招福楼 玄関の衝立 招福楼は、明治元年=1868年創業の老舗で、千四百坪の敷地に六部屋という贅沢な造り。しかも、そのうちの、七宝 しっぽう の間、灯 ともしび の間、楽浪 さざなみ の間、桂 かつら の間の四室は、平田雅哉棟梁の手になるものです。 平田雅哉 HIRATA Masaya 明治33年(1900年)~昭和55年(1980年) 大阪の堺生れ。生涯で400にも上る建築を手掛け、数寄屋建築の名工としてその名を馳せた。藤原新三郎の下で修業し、後に事実上の後継者になる。大工として働きながら自ら図面を引いた。製図や彫刻にも堪能で、それらにも多くの時間を費やした故に、作品が数多く残されている。昭和の左甚五郎と謳われた。 平田雅哉が語り、内田克己によって聞き書きされた「工匠談義」が、「大阪手帖」に5年にわたり連載される。それを書籍化した『大工一代』(昭和36年=1961年/発行:池田書店)も大評判になって、『大工太平記』(昭和40年=1965年/制作:東宝/主演:森繁久弥)として映画化された。 書籍に、『数寄屋建築・平田雅哉作品集』(昭和43年=1968年/発行:創元社)、『数寄屋造り・平田雅哉作品集』(昭和47年=1972年/発行:毎日新聞社)、『…

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招福楼 楽浪の間 永見隆幸 訪問 平田雅哉

音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が、滋賀の八日市にある、日本を代表する茶懐石の名店「招福楼 しょうふくろう 楽浪 さざなみ の間」を訪問されました。 招福楼は、明治元年=1868年創業の老舗で、千四百坪の敷地に六部屋という贅沢な造り。しかも、そのうちの、七宝 しっぽう の間、灯 ともしび の間、楽浪 さざなみ の間、桂 かつら の間の四室は、平田雅哉棟梁の手になるものです。 平田雅哉 HIRATA Masaya 明治33年(1900年)~昭和55年(1980年) 大阪の堺生れ。生涯で400にも上る建築を手掛け、数寄屋建築の名工としてその名を馳せた。藤原新三郎の下で修業し、後に事実上の後継者になる。大工として働きながら自ら図面を引いた。製図や彫刻にも堪能で、それらにも多くの時間を費やした故に、作品が数多く残されている。昭和の左甚五郎と謳われた。 平田雅哉が語り、内田克己によって聞き書きされた「工匠談義」が、「大阪手帖」に5年にわたり連載される。それを書籍化した『大工一代』(昭和36年=1961年/発行:池田書店)も大評判になって、『大工太平記』(昭和40年=1965年/制作:東宝/主演:森繁久弥)として映画化された。 書籍に、『数寄屋建築・平田雅哉作品集』(昭和43年=1968年/発行:創元社)、『数寄屋造り・平田雅哉作品集』(昭和47年=1972年/発行:毎日新聞社)、『床の間図集』(昭和…

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招福楼 灯の間 永見隆幸 訪問 平田雅哉

音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が、滋賀の八日市にある、日本を代表する茶懐石の名店「招福楼 しょうふくろう 灯 ともしび の間」を訪問されました。 招福楼は、明治元年=1868年創業の老舗で、千四百坪の敷地に六部屋という贅沢な造り。しかも、そのうちの、七宝 しっぽう の間、灯 ともしび の間、楽浪 さざなみ の間、桂 かつら の間の四室は、平田雅哉棟梁の手になるものです。 平田雅哉 HIRATA Masaya 明治33年(1900年)~昭和55年(1980年) 大阪の堺生れ。生涯で400にも上る建築を手掛け、数寄屋建築の名工としてその名を馳せた。藤原新三郎の下で修業し、後に事実上の後継者になる。大工として働きながら自ら図面を引いた。製図や彫刻にも堪能で、それらにも多くの時間を費やした故に、作品が数多く残されている。昭和の左甚五郎と謳われた。 平田雅哉が語り、内田克己によって聞き書きされた「工匠談義」が、「大阪手帖」に5年にわたり連載される。それを書籍化した『大工一代』(昭和36年=1961年/発行:池田書店)も大評判になって、『大工太平記』(昭和40年=1965年/制作:東宝/主演:森繁久弥)として映画化された。 書籍に、『数寄屋建築・平田雅哉作品集』(昭和43年=1968年/発行:創元社)、『数寄屋造り・平田雅哉作品集』(昭和47年=1972年/発行:毎日新聞社)、『床の間図集』(昭和5…

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招福楼 七宝の間 永見隆幸 訪問 平田雅哉

音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が、滋賀の八日市にある、日本を代表する茶懐石の名店「招福楼 しょうふくろう 七宝 しっぽう の間」を訪問されました。 招福楼は、明治元年=1868年創業の老舗で、千四百坪の敷地に六部屋という贅沢な造り。しかも、そのうちの、七宝 しっぽう の間、灯 ともしび の間、楽浪 さざなみ の間、桂 かつら の間の四室は、平田雅哉棟梁の手になるものです。 平田雅哉 HIRATA Masaya 明治33年(1900年)~昭和55年(1980年) 大阪の堺生れ。生涯で400にも上る建築を手掛け、数寄屋建築の名工としてその名を馳せた。藤原新三郎の下で修業し、後に事実上の後継者になる。大工として働きながら自ら図面を引いた。製図や彫刻にも堪能で、それらにも多くの時間を費やした故に、作品が数多く残されている。昭和の左甚五郎と謳われた。 平田雅哉が語り、内田克己によって聞き書きされた「工匠談義」が、「大阪手帖」に5年にわたり連載される。それを書籍化した『大工一代』(昭和36年=1961年/発行:池田書店)も大評判になって、『大工太平記』(昭和40年=1965年/制作:東宝/主演:森繁久弥)として映画化された。 書籍に、『数寄屋建築・平田雅哉作品集』(昭和43年=1968年/発行:創元社)、『数寄屋造り・平田雅哉作品集』(昭和47年=1972年/発行:毎日新聞社)、『床の間図集』(昭和…

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招福楼本店 八日市 永見隆幸 訪問 平田雅哉 建築 庭園

音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が、滋賀の八日市にある、日本を代表する茶懐石の名店「招福楼 しょうふくろう」を訪問されました。 派手さの全くない 簡素ながら趣のある看板 恰 あたか も参道の如き 美事な玄関への導入路 門前の大生垣は、隣接の建物を美しく遮蔽 しゃへい し、右手に覗 のぞ く茶室「半庵」の屋根から 玄関へと誘 いざな ってくれます。 冠木門 かぶきもん の奥にある梅が見頃を迎えていますが、二月故に、手前の桜はまだこれから。 美事な梅の古木 女将の出迎えを受けられる永見先生 招福楼の女将 中村恭子さん(左)永見隆幸先生(右) 中村恭子さんは 招福楼四代目店主 中村成実 なかむら しげみ さんの奥様 招福楼 玄関の衝立 長廊下 先ずは御庭を拝見 渡廊下 古木、銘石、蹲踞 つくばい、燈籠 とうろう など、見所が沢山 如月 きさらぎ の 名残雪 なごりゆき …

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