瓢亭 京都本店 永見隆幸 再訪 南禅寺畔 老舗料亭 京料理

音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、南禅寺の 瓢亭 ひょうてい 京都本店 を再訪されました。 瓢亭 女将 髙橋容子さん(左:瓢亭 第十四代当主 髙橋英一さんの奥様) 永見隆幸先生(右) 瓢亭 第十四代当主 髙橋英一さんは、平成二十五年=2013年、京都府指定無形文化財の技術保持者に認定されています。 老舗料亭として名高い 瓢亭 ひょうてい は、四百五十年程前、近江屋九代目の嘉兵衛が、京都南禅寺境内の門番所を兼ね、江戸時代後期の天保八年(1837年)八月十五日、南禅寺総門外松林茶店という腰掛茶屋として庵を結んだのが始まりだそうです。 幕末の元治元年=1864年、平塚瓢齋によって刊行された『花洛名勝図会』には、既に「南禅寺総門外松林茶店」が 京の名勝の一つとして記載されているのだとか。 明治の元勲である山縣有朋、伊藤博文、品川弥二郎、頼山陽をはじめ、永きに亘り文人墨客や内外の賓客が足繫く訪れた瓢亭は、文豪 谷崎潤一郎の『細雪』にも登場します。 瓢亭の表構 おもてがまえ は至って質素で奥床しく、嘗ての佇いが残されています。杮葺 こけらぶき の平屋の土間には、床几 しょうぎ、傘、草鞋 わらじ、水甕などが置かれ、軒先に瓢亭と記された看板代りの小旗が下げられています。 …

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金田中 新橋 永見隆幸 再訪 老舗料亭 令和五年四月

音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、東京 新橋の 日本を代表する老舗料亭 金田中 かねたなか を再訪されました。 金田中にて 永見隆幸先生と新橋芸者衆 新喜楽と共に二大料亭と称される 金田中 かねたなか は、大正時代の半ば木挽町に創業。夜席は一見お断りの紹介制。芸者衆の華を添えて、旬の食材を活かした喰切り料理が信条。金田中の松本昇総料理長は、令和四年、黄綬褒章に輝いた。 新ばし金田中の入口 玄関先の庭 金田中 玄関の設え 本日の永見先生の御席は二階 永見先生の食事をされる御部屋 床の間を背にご着座される永見先生 次の間 芸者衆が歌舞音曲を披露する舞台にもなります。 金田中女将の岡副徳子さん(左)永見隆幸先生(右) …

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重よし  永見隆幸 再訪 日本料理 和食 東京 神宮前 原宿 令和五年二月

音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が 東京 原宿の明治神宮前にある日本料理店 重よし を再訪されました。 永見隆幸先生(右)重よし 店主の佐藤憲三さん(左) 佐藤憲三 SATO Kenzo 昭和十九年=1944年、東京生れ。立教大学経済学部卒業後、昭和四十二年=1967年に名古屋「重よし」入店。昭和四十七年=1972年、27歳にして原宿に東京「重よし」を開店する。著書に『重よし―料理覚え書き 2009/9/1 プレジデント社』『重よしの呼吸 料理読本 2021/11/13 大和書房』など。 重よしは、テレビ番組「人生最高レストラン」で俳優の市村正親が30年通う店として紹介されています。作家の遠藤周作や向田邦子らも足繁く通っていました。ミシュラン星付の名店。 『美味しんぼ』小学館 107集「名人・名店編」の第4話「重よし」〈1〉~〈2〉で、ご存知の方も多いのではないでしょうか。 政財界や芸能界を始め、各界の名だたる食通が通う店としても知られており、「重よし」は「京味」「辻留」と並び称される和食界の重鎮と謳われています。 牡蠣 的矢 佐藤養殖場 殆ど無菌の状態で養殖されるのだとか…

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味満ん 河豚料理 永見隆幸 再訪 東京 六本木 令和五年二月

音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、東京の六本木にある河豚料理「味満ん あじまん」を再訪されました。 永見隆幸先生(左)味満ん店主 松原貞夫さんのご息女(右) 味満んは東京を代表する河豚料理の老舗。紹介制です。食通の間では、味満んの河豚は別格、最高峰の河豚料理店、日本一の河豚専門店などと高い評価を得ています。家族経営で丁寧な調理と接客が評判、常連客の多いことでも知られるミシュラン星付の名店です。 永見先生がよくお使いになる味満の最も小さな個室 書家 三松菴 金井健翁 かないけんおう の色紙 武蔵野の 桔梗 苅萱 かるかや 女郎花 おみなえし 招く尾花に浮々 うかうか と 月も心で品定め 何れに宿らん露の上 こういう端唄の類までご存知の永見先生、守備範囲の広さも尋常ではありません。ご本人は、知らない事の方が圧倒的に多いと、謙虚に仰 おっしゃ いますが、永見先生は、広範囲にわたり、芸術文化について造詣が深くていらっしゃいます。 味満ん名物の口取「白魚と長芋」 河豚煮凝 にこごり 梵酢 ポンズ(左)鮟肝垂(右) 薬味 鉄刺 てっさ 河豚…

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新喜樂 築地 永見隆幸 橘右之吉 再訪 老舗料亭 割烹

音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、東京 築地の 日本を代表する老舗料亭 割烹 新喜樂 しんきらく を再訪されました。 後列: 永見隆幸先生(中央)橘右之吉師匠(左)新橋照代姐さん(右) 前列: 新橋秀千代姐さん(左)新橋百々香姐さん(中央)新橋小雪姐さん(右) 新喜樂 東京築地の 割烹「新喜樂 しんきらく」は、金田中 かねたなか と並んで日本の二大料亭と称されています。因みに関西では、招福楼と吉兆高麗橋本店が二大料亭とされます。 明治八年=1875年、日本橋茅場町に喜樂の屋号で創業。明治三十一年=1898年、現在の店舗がある旧大隈重信邸の跡地に移転し、屋号を新喜樂としました。 大正十二年=1923年、関東大震災によって店舗は焼失、直ぐに再建されましたが、昭和十五年=1940年以降、数寄屋造で知られる建築家の吉田五十八 いそや によって増築と改修が重ねられ、今の形になりました。新喜樂は 吉田五十八の代表作と言われています。 現在の女将は、四代目の木村薫さんです。 新喜樂の初志として、「支店を出さない」「宣伝をしない」「毎日が開店日 初心忘る可からず」「無言のおもてなし」があるそうです。「無言のおもてなし」を簡潔に説明すると、お客様から質問されない限り店から説明はせず、座敷の設 しつら えと華を添える新…

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